貴ノ岩の「訴訟取り下げ」に思う意識を変えるむつかしさ

投稿日:2018/10/31 更新日:

こんにちは、ハヤトです。

 

 

貴ノ岩は、
日馬富士に対して起こしていた訴訟を
取り下げたようです。

母国モンゴルで、
家族らが猛バッシングを受けたこと
が理由とされています。

 

 

しかし、
テレビの報道番組も含めて、
いろんなニュースをみましたが、
事の真偽は定かではないようです。

 

日馬富士側からは、
モンゴルの国民性から考えて、
被害者である貴ノ岩やましてや
その家族が非難の対象になることは
考えられないと言っています。

 

 

ただ SNS 上では、
今回の発端である昨年10月の暴行事件の直後から
モンゴルでは様々な意見が飛び交っていたようです。

 

 

その意見は二つに割れます。

1つ目は、

先輩でもありはるかに格上である日馬富士に対する
貴ノ岩が取った行為こそ不適切だった、

と言うもので、

2つ目は、

理由はどうあれ
暴力を振るった日馬富士が悪い
 

というものです。

日馬富士はモンゴルでは英雄中の英雄
ですから、
それを考えると、

どちらもよく理解できる意見だと思います。

 

 

ところが、
貴ノ岩が日馬富士に対して
約2400万円の損害賠償を求めて
訴訟を起こした直後あたりから
この件が少しずつ
日馬富士に同情的なものに偏り始めたそうです。

 

 

実は私のこの事件に関する思いも、
このモンゴルの人たちの気持ちに近いものがありました。

 

 

特に最初は、
なるほどひどい暴力だといえばそうですが、
先輩が後輩を殴ることなど
特にスポーツの世界ならほぼ当たり前、
という気持ちがありました。

 

 

私が中学、高校だった頃には、
実は教師や先輩から受ける暴力は当たり前でした。

 

宿題をしてこなかっただけで、
廊下に10人ぐらいならばされ、
一人ずつ往復ビンタなども数回経験しました。

 

授業中、隣の人と話をしていただけで、
突然立たされ殴られたこともあります。

 

部活の先輩からしごきとして、
うさぎ跳び校庭一周、
ランニング校庭50周、何かもありました。

体育の授業でルール違反をした人が
校庭の挨拶台の上で延々数時間、
正座させられた人もいました。

 

それを体罰という風に捉える意識すら、
ほとんどなかった時代ではなかったかと思います。
ド田舎だったからかもしれません。

 

 
 

多かれ少なかれ、私たちのような、
シニアの世代の多くは、
そんな環境の中で育ってきただけに、
今でもそういう意識が心の中に
染み付いているのではないかと思います。

 

 

でも私が逆の立場になっても
そういうことを私はしないだろうな
という気持ちはあるにはありましたが・・・

 

 

 

あり得ないたとえで恐縮ですが、
モンゴルの人にとっての今回の事件は、

日本人には、
全盛期のイチロー選手が、
アメリカで他の日本出身の選手に
暴行を加えたようなものかもしれません。

 


それが原因でイチロー選手が
やめなければならないとなったら
どんな気持ちになっていたでしょう?

 

 

私でしたら、
イチロー選手の活躍が見られなくなることを
とても残念に思ったはずです。

そして暴行を受けた選手を逆に、

非難する気持ちになったかもしれません。

 

 

またその一方では、
大スターとはいえ
暴力事件を起こしてしまったのだから、
それはそれで責任を取らないといけない
という複雑な気にもなったはずです。

 

 
また貴ノ岩が損害請求したと同じように、

アメリカで暴行を受けた日本人選手が、
多額の損害賠償金を請求したとなれば、
またそこでさらに嫌な気分になったと思います。

 

 
結局お金が欲しいのか、
そのせいで 楽しみにしていた
イチロー選手の活躍がもう見れないじゃないか、
と。

 

 

しかしよくよく考えてみると、
私のこのような旧態依然たる、
封建的ともいえる考え方は、
これからは、
きっぱり捨て去らなければならない
という風に思い始めています。

 

 

まずやはり、
暴力で人を従わせようということ自体、
絶対に避けなければならないと思います 。

ブログを書き始めてからは特に、
強くそう思うようになりました。

 

人は言葉と言う
コミュニケーションツールを持っています。

 

これを駆使する前に暴力に訴えてしまったのでは
そこで思考は完全に停止してしまいます。

 

体だけでなく心にも傷を残してしまいます。

 

その場しのぎの解決策としては
有効な場合があるかもしれません。

 

しかしそれだけに始末が悪いのです。

連鎖を生んでしまうからです 。

 

 

今の相撲界はまさにそんな状況ではないでしょうか。

 

この連鎖はこれまでも指摘されながら、
なかなか食い止めることができないできました。

 

伝統という名のもとに、
ある意味不当に
保護されているからでもあります。

 

昔ながらのしきたりや
考え方に縛られている人は多くいます。

 

 

今回の貴ノ岩による訴訟は、

その悪の連鎖を断つのには
とても良いきっかけだったのかもしれません。

 

それを通して相撲界の実態や
日本の社会の暴力の実態に
メスが入れられる可能性があったかもしれません。

 

ところが今回の訴訟取り下げにより
せっかくのそのチャンスが失われてしまった、
そんな残念が気がしています。

 

 

訴訟に関わる金銭問題についても思います。

 

我々あるいは我々より上の年代にとっては、
お金というのは一種のタブーの領域となります。

 

お金について公然と話すことは
結構気が引けます。

 

 

 

外国などでは、
家族同士の付き合いの場でも
株の運用の話や金儲けの話が
ごく普通に出てくるそうです。

しかし少なくとも私の身の回りでは
こんな経験はほとんどありません。

 

そんな話はお互い避けて通るのが普通です。

 

 

お金に触れないのが美徳である、
日本ではそういう暗黙の意識が
共有されてきているのではないでしょうか。

 

 

しかし一方でお金の重要さは、
ますます大きくなってきています。

 

日本は財政に苦しんでいます。

今後どこからお金を工面するのかが
最も大きな課題の一つでもあります。

 

 

そんな状況の中で
いつまでもお金の話 に
偏見を持つようであってはいけないと思うのです。

 

 

今回の貴ノ岩の訴訟取り下げのニュースで
改めてそんなことを感じました。

 

たとえ誰であろうと
暴力により相手を傷つけたのであれば
それはしっかり裁かれなければなりません。

またその罪は損害賠償という
お金の形でしっかりと解決されるべきだ
ということを感じた次第です 。

 

 

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